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2020年6月24日 (水)

『学院歌』をどうぞお聴きください

横須賀学院歌をホームページ上でご紹介しています。

横須賀学院トップ画面の「横須賀学院 学院歌」からリンクします。

6月は横須賀学院にとって創立を心に留める月となっています。横須賀学院の創立は1950年ですが、その3年後、1953年6月9日の開院記念日に「学院歌」は作成・発表されました。学院歌について、横須賀学院50周年記念誌には「学院歌は、北海道大学教授風巻景次郎(かざまき けいじろう)氏をわざわざ学院にお招きして白浜の風物を鑑賞していただいた。そこで校風その他をお話し、詩情豊かな歌詞を作っていただいた。作曲は平井康三郎(ひらい こうざぶろう)氏によるもの」と記されています。そして、その年11月9日、体育館献堂式(落成式)にあわせて「学院歌発表会」が行われました。しおりの写真(3枚)はその時の「横須賀学院歌」と「体育館落成式、学院歌発表会」のしおりで、資料室に保管されているものです。

ホームページ上の歌声は、創立60周年の年に、吹奏楽部の演奏で聖歌隊と卒業生のよる「“学院歌”を歌う会」が歌ったのを録音したものです。大チャペルのカラー写真はその時の様子です。

また、数年前、小学校、高校の礼拝で学院歌についてお話をした教員の文章を、少し長いのですが引用します。どうぞご覧ください。

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・・・・・・・・・・・・さて、6月は横須賀学院の創立に心を向ける月であり、「建学の精神」を再確認する月でもあるので、「学院歌」についての話を依頼されました。君たちにとって、将来思い出の歌となってほしい横須賀学院の校歌である「学院歌」をここで取り上げてみたいと思います。

ここに、さまざまな学校の校歌に関する研究資料があります。校歌の中に出てくる学校ならではの徳目的表現(ちょっと難しい言葉ですね。わかり易く言うと、みんなに期待する言葉という意味です。)で一番多いのは何だと思いますか。

「学ぶ」、学院歌にも出てきますね。 

色彩表現として一番取り上げられる色、何色だと思いますか。第1位は「緑」、学院歌には何色が登場するでしょうか。「青」は第2位。 

地形や自然現象に関しては、第1位が「風」、第2位が「雲」、第3位が「空」、この点では、学院歌は大変オーソドックスな校歌といえます。 

それでは「校歌は一体、誰が作るのでしょうか」。創立者が、その建学への「思い・願い」をこめて作詞・作曲したもの、卒業生を含む生徒が作詞・作曲したものなど多様で、ミッションスクールの中には、讃美歌の曲を使っているもの、スコットランド民謡やドイツ歌曲を用いたり、ハイドンの曲を使用している例もありました。最近は、有名なアーティストに依頼した校歌が話題で、テレビで取り上げられもしました。その一方で、多くの校歌に共通する専門的な作者もいて、作曲者に顕著にみられる様です。本校の場合は後者のパターン、専門家への依頼という形で誕生しました。

専門的な作曲者のベスト5にあげられるのは、1位は山田耕作、2位は信時潔、3位が團伊玖磨、4位が平井康三郎、5位が中田喜直という結果でした。音楽の時間に習った覚えのある人もいますね。

横須賀学院歌の作曲者は、学院歌の作曲者のところを見てください。4位にランクされている平井康三郎さんなのです。どんな方かというと、知らない人も多いと思うので、有名な童謡の分野の作曲された曲を紹介しましょう。1つは「スキー」です。“山は白銀、朝日を浴びて、滑るスキーの風切る早さ”、昭和17年のものです、もうひとつの代表曲は「とんぼのめがね」です。“とんぼのめがねは、みずいろめがね、あおいおそらをとんだから、とんだから………”昭和24年の曲です。 みんなもそのメロディーはどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。 編曲家としても有名で、「お江戸日本橋」、「おお牧場はみどり」などが代表的なものとしてあげられます。 1910年生まれ、もうなくなられてしまいましたが、なかなか有名な人が学院歌を作っているのです。

一方、学院歌の作詞を担当したのは風巻景次郎さんという方です。国文学者であり、大学の先生でしたが、高校の校歌の作詞をいくつも手掛けたことでも有名で、北海道大学の教授だったこともあって、北海道の公立高校の校歌の作詞者としても知られています。中世の文学研究者として、「草木のさやぎにも神の声が聞かれた遠い古の代から、歌は神や人とともにあった」と語り、作詞という仕事はまんざら専門から大きくはずれることではなかったのかもしれません。横須賀学院の依頼に対して、横須賀まで赴き、周りの景色、雰囲気を感じ取った上で、学院のスタッフとも学校の様子のやり取りをし、「海は広く青し、水ありここぞ楠が浦……….」と歌ったのです。「楠が浦」というのはこのあたり一帯をさしたようで現在は海軍基地より奥をさします。また白浜という言葉が出てきますが、これはまさに三笠の前あたり、このへんをさしていたようです。

1953年(昭和28年)11月9日、このときに旧体育館の落成式とあわせて、学院歌の発表会が開かれ、まず聖歌隊が合唱をし、作詞者・作曲者が紹介され、感謝の気持ちを花束・記念品で表し、さらに出席者一同で合唱したそうです。校歌ができた喜びはひとしおだったようです。 

私が初めて、学院歌を耳にした時、大変好印象を持ったことと、学校名が歌われていない点を意外に思ったことを今でもよく覚えています。 

 みんなは、どんな印象を持っていますか。校歌を胸を張って大きな声で歌い、そして空でおぼえるかどうかは、自分が、その学校での生活をどれだけ楽しめているかにかかっている気がします。 みんな学校生活は楽しいですか。先生から歌いなさいと言われて歌うことではない、校歌を歌える自分であること。大人になってから友達と、ひょっとしたら家族との共通の思い出となる歌になってほしいと心から願っています。・・・・・・・・・・・・

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